Guapo!VOL.8 鈴木徹 さん

 
2012 年ロンドンパラリンピック陸上走り高跳び日本代表、「世界で3人目の2m ハイジャンパー鈴木徹さん」に熱い気持ちを語って頂きました!
―パラリンピックに向けてのお気持ちと抱負をお聞かせください。
8 月29 日出発で、2週間近く行く予定なのですが、陸上競技は花形なので、8 月31 日から9 月9 日までと結構長いです。自分の競技は9 月5 日~6 日が4×100m リレー(日本時間)で、9 月9 日が走り高跳び(日本時間)です。パラリンピックは4回目でまだメダル取れてないので、今回こそは獲ります!また、自己ベストもクリアしたいです。怪我もありましたが、4年に一度しかないパラリンピックに向けて、焦らずうまく調整できています。今までで一番いい状態だと思います。高跳びは体型・バネが必要な競技。年令・技術・経験的にも世界で勝負するには最後のチャンスだと思っています。
―鈴木さんにとって、スポーツを高いレベルでやっている人だけがわかる「この瞬間!」とは?
2m飛んだ時のことなんですが、その時あまり調子も、天気も良くなかったんです。 天気が悪いと記録は5cmくらい下がってしま うんですが、自分が跳ぶ番になった時雨がピタッと止んだ。
そこで、2m という記録を出すことができたんです。
その後バーを2m3cmに上げて3回失敗してしまったあと、またどっと雨が降ってきた。
スポーツをやっていると、ほんの少しの瞬間しかないんですが、「(自分が)やった」と言うよりも「(その結果が)用意された」という感じがあります。他にも観客の声が小さくなるとか、プレーしている自分の後ろにそれを冷静に見ている自分がいるとか。
跳んだ瞬間に元に戻るんですが。そういう普段の生活では経験できないことがあるんですね。
最高の集中をして最高のパフォーマンスを出せている時は、そんな状態です。
―ハンドボールの時も同じような経験をして、いい結果が出たと伺っています。
中学高校の時ですね。絶好調の時は、意外とダメだったりするんです。イケイケドンドンになっちゃってて、冷静さも失っている。 その時は39度くらいの熱があったんですが、それでも身体は動くんですね。熱があるから。余計なことも考えてない。
要は、「いかに無心か?」なんです。昔の失敗のイメージとか欲が出たりとか相手の選手が気になっちゃったりとかするとどうしても身体が緊張してしまう。無心に近い時が一番いい結果が出ます。
―無心に近づくために、意識的にやっていることはありますか?
色々なイメージをなるべく入れないようにしています。音楽もあまり聴かないし、むしろ観客の音を入れて盛り上げる。跳躍競技は悪いイメージが入ってきやすいので、あえて他の選手のジャンプは見ない。自分の良いイメージだけを大切にしています。
―鈴木さんにとって『跳ぶ』という感覚は、どのようなイメージなんですか?
イメージは「ピンポン玉」。ピンポン玉を固い床に落とすとポーンと跳ね返ってくる、この感覚が一番いいんです。例えばピンポン球を固い床ではなく土や芝生に落とすとタイムラグがある。これはダメですね。「弾ける」感覚が身体に来るとすごく気持イイんです。自分がピンポン玉になった感じで「パーン」と頭の上まで抜けていく。
すべてのタイミングが合った時にはピンポン玉になれるんです! やはり無心でないとダメですね。また、ちょっとでも躊躇すると失敗してしまいます。
流れのまま、「スッと走ってポンと跳ぶ」ことができればベストです。それはもう助走の時からわかるんです。
―跳んでる時、空中で一瞬止まって見えることがあります。ご本人はそれを意識しているのですか?
そのことを空中で「待つ」と言います。流れの中で一瞬止まっているんです。それができない選手はダメなんですね。余計な力が抜けているからこそ待てるし、とても美しい。だからそこから何でもできるんです。「まだ跳んでいる」「まだ浮いている」と自分でも感じます。
―肉体を動かすことが精神(内面)に与える影響をどのように考えますか?
スポーツは勝つことがすべてではありません。むしろ負けることのほうが多い。負けることから色々学ぶことができます。走り高跳びは、必ず最後は負けて終わる競技。
跳べたら必ずそれ以上に挑戦して失敗して終わる。その失敗が成長につながっていきます。なので終わりがないんです。
―4年に一度のパラリンピックに向けて、そこにピークをもってくるためにどのような調整をしたのですか?
パラリンピックは世界選手権と比べて特別なんです。みんなが同じ場所で同じ時間に同じ条件で平等でやる大会はパラリンピックだけなので、そこで勝った選手が最強という事になります!他とはワケが違うんです。そして、そこで勝つというのはすごく難しい。実は春先あまり調子が良くなく、190cmしか跳べませんでした。もちろん自分を信じているのですが、どこかで本当にそれが正しいのか揺らぎながら調整をするしかない。一気に上げずに少しずつ小さいピークを作りながら上げていく調整法をとりました。それでやっと先月結果が出てきたんです。
今回それを焦らず待てたというのが成長だと思います。シドニー・アテネ・北京あたりまでは、「何か変えてやろう」と思って失敗してきました。今まで積み上げてきたベースがあるから、それを少しずつアップしていくことが大切なんです。

―ハンドボールからハイジャンプに転向したわけは?
ものすごくシンプルです。事故の後、大学でもハンドボールを続ける予定でしたが、義足を付けて走ってみたら、100mが20秒くらいかかってしまい、これじゃ選手として活躍できないと思いました。その横にたまたま走り高跳びのセットが置いてあったんです。その時の日本記録が150cmだったんですが、1時間練習しただけで165cm跳べてしまったんです。つまり日本記録ですよね。その瞬間、走り高跳びでパラリンピック目指そうと思いました。そこに高跳びのセットがなかったら、おそらくパラリンピックには出られていなかったでしょうね。
日本代表から世界へという気持ちをいつも持っていました。事故の後、ずっとトップを走ってきた自分が歩けなくなるという状況になってもその気持ちに変わりはありませんでした。趣味レベルでは許せなかったですね。だから落ち込んでる時間は自分にはなかったんです。

―「義足でスポーツをやっている」と簡単に言いますが、そこまでの道のりは当然大変だったですよね。
歩くまで3ヶ月、走れるようになるまで1年くらいかかりました。スポーツをずっとやってきたので、足の切断という事よりもスポーツができない絶望感のほうが大きかった。「スポーツをやりたい」けど「歩けない」というギャップが苦しかったですね。義足を横においておくだけじゃ歩けません。つけて歩いて傷を作って、それをまた治して、つけて歩いての繰り返し。自分は目指すものがあったので、下を向くことなく、周りの支えもあってやってこられたと思っています。
―出版されている本「世界への道 “義足のハイジャンパー” 鈴木徹の生き様」にて、アスリートは歩き方がカッコいい、歩き方に生き様がでるとおっしゃっていますが?
歩き方は競技に続いています。自信があると胸を張るし、ないと下を向く。それだけで人生が現れています。石川遼くんも言っていますが、タイガー・ウッズの歩き方は美しいですよね。
美しいということは、タイミングが全て合っているということです。歩き方が汚いのは、スポーツ選手としては致命的だと思います。特に陸上競技はそれがモロに出てしまいます。一流選手は歩き方を見るだけでわかります。一連の流れが無理なく美しくつながっているんですね。陸上競技は道具を使わないので、そこまで意識をしています。調子が悪い時は地面から返ってくる衝撃が違うんです。歩きは良い跳躍をつくるので、1時間くらいひたすら歩く練習をやったこともありますよ。

―駿河台大学の指導者として、またハンドボールに戻ってきた真意は?
本当は、やるつもりはなかったんです。引退後にやろうと思っていました。でも、北京パラリンピックが終わった翌年の2009 年に高校の先生方に推薦してもらい始めました。ハンドボールの指導は、ロンドンが終わってからが、自分の中での順番だったんですが、事故以来、色々な経験をさせてもらってわかったのが、「物事には全て意味がある」ということです。自分で予定していない流れの中できっかけが来るのは何か意味があるはずだから、今ここで、掴める時に掴まないとダメだと 思って始めました。そもそも、自分にできる可能性があるからこそ、依頼が来るということですよね。できない人には来ません。だからまずはやってみようと思って即答しました。それは事故の経験があってこそ。全てには意味があります。それは事故も、怪我も、調子が悪いことも、それがすべて経験となって今に活きています。
―スポーツを通じて訴えたいこと、実現させたいことをお聞かせください。
スポーツで人間的に成長させてもらったと思っています。スポーツは、礼儀やモノを大切にするとか目標を持つとかも含め、勉強では賄えないこともすべて賄えられます。種目は何でもいいので見るだけでなく、ぜひやってほしいですね。スポーツをやって汗をかくと気持いいじゃないですか。明るくなれるし、若くいられるし。言葉が通じなくてもわかりあえる。気仙沼の学校に行った時に、授業中下を向いている子も、スポーツをやると笑顔になる!
スポーツはすごい力を持っているんです。

―講演活動も積極的に行なっていますが、やはり訴えたいのはそこですか?
スポーツ選手としてはやらなくてもいい仕事だとは思いますが、依頼が来る以上、それには意味があると思っています。
現場に行って一番良いのは、生の情報を手に入れられること。また、講演をやることで、自分も良いエネルギーをもらっています。依頼が来る限りはずっとやっていこうと思っています。

―座右の銘は何ですか?
「やってみなければわからない」。
一歩踏み出さないとわからないことがたくさんあります。事故の前は、やりたいことがあってもやってこなかったんです。でも事故をして、「たった1回の人生」と思った時に、一歩踏み出そうとしてやってきたことがすごくいい方向に向きました。それもあって、「やってみなければわからない」と思って生きています。




スポーツとその周辺にまつわることに対して熱い気持ちを持っていて、それを的確に伝えてくれました。
競技や講演を通じて、多くの人にその気持ちを伝え広げていってくれると思いました。パラリンピックでは、走り高跳びの競技の集大成として、素晴らしい記録を出してくれることをお祈りしています!
―最後に、自分にとって大切にしていること( 大切な時間) を円グラフで。
「競技」「ハンドボール」「講演」「家族」「プライベート」
プライベートでも競技のことを考えているという鈴木さんならではのお答えでした。


鈴木徹さんプロフィール 1980 年5 月4 日・山梨県生まれ。
駿台甲府高時代にハンドボールで国体3 位。筑波大の入学直前に交通事故で右ヒザ下11cm から切断。
走り高跳びに出会い、シドニー・アテネ・北京パラリンピックに出場。日本初の義足プロアスリート
として世界で3 人目(義足では2 人目)の2mジャンパーとなった。ロンドンパラリンピック日本代表。
オフィシャルブログ  http://torustyle.blog45.fc2.com/
(株)レプロエンタテインメント http://www.lespros.co.jp/

制作
Photo:殿木修司
構成/文:lica
インタビュー:斉藤未希
Video:Shingo
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