sealer del sol (シーラーデルソル)

Guapo!WEBマガジン[グアッポ!]

vol.6

自身も鎌倉の古民家で生活し、日本の文化を愛する渡邊さん。
日本の魅力を世界に伝える中で、アンテナに引っかかったもの、そしていつも根底にあるラクロスについてお話しを伺いました。

サムライクロス総合プロデューサー・元気ジャパン主催渡邉賢一

Photo:殿木修司
構成/文:lica
インタビュー:斉藤未希
Video:Shingo
ラクロスとの出会いは?

大学一年生の6 月、母校学習院のグランドで見たことない棒をもった女子ラクロスの学生たちを見たのがきっかけ。なんだろうと興味をもったのがスタートでした。学習院には男子部が無かったんです。
早速、翌日ラクロス協会に行って聞いたら、ラクロスの魅力をいろいろと教えていただいたんですが、中でも特に、ラクロスの場合はセレクションや特待生などということがないから、やればやるほど上にいけるという事を言われたんです。日本に入って数年だから、がんばれば日本一にもなれるし、オールジャパンにもいけると。今から考えると協会側の売り文句だったんですけどね(笑)。18 歳の自分にはぐっときちゃったんです。これヤバいと。それで決断したんですよね。なので、ラクロスを続けている中で日本一にならなければという気持ちはずっとあったんですね。 なので、社会人になってからADVANCE-HANGLOOSE とVALENTIA という2つのチームで日本一になれた時は本当に嬉しかったですね。

ラクロスの魅力は?

面白いのが、道具を扱うと熟練度が出るんですね。例えば、バックシュートという技術があるんですが、ラクロスを始めたばかりの頃では当然できないのですが、それが10 年以上やっているとできるんですよね。なんていうか・・・ネットが手の一部なんですよ。だから先にちょっとだけボールがのっているだけで分かる。片手で握っていてもそうです。それが上だろうが下だろうが横だろうがどっからでもボールが出せるんですよ。

練習すればするほど上手になる。歳をとってくると20 代前半の子より足も遅くなるし、たくさん走れないし、体力もすぐ戻らないんですが、テクニックがあると彼らより速く動けたりするわけですよ。カラダだけでなく、ある程度技術があればそういうことに対抗できるんです。それがラクロスの面白い部分かなと思います。

サムライラクロス発足のきっかけは?

2005 年に発足したんですが、自分の年齢があがっていくにつれてラクロスを俯瞰してみれるようになってきました。歳をとってもラクロスを続けられる場をつくったり、若い学生がラクロスを始め易い環境づくりや、コーチングの体制や、日本製のラクロス道具の必要性など、沢山の事に気づきました。
もちろんラクロス協会はあるんですが、僕ら一人一人の力でも何かできないかなと考え始めたんです。
また、僕はたまたまラクロスが日本に上陸して第一世代だったので、海外からラクロスを学んだりする機会も多く、ラクロスの深い文化にも触れるチャンスがありました。今の世代はそういった機会も減っているので、世界のラクロス文化に触れるために海外ラクロスツアーや外国人コーチの招聘などグローバルな展開にはとても力を入れています。

ラクロス文化とはどういうことですか?

何でもそうだと思うんですけど立ち返るオリジンが何であるかっていうことが大事だと思うんですよね。ラクロスの場合、オリジンがネイティブアメリカンなんですよ。
ネイティブアメリカンの古い言葉で「BAGGATAWEY(バガッタウェイ)」という言葉があるんですね。“世の中を良くするためのアクティビティ” という意味なんですが、広義ではこれがラクロスを指します。社会のくすりみたいなもので、人々の関係性をハッピーにするものだという考え方です。
これがアメリカに伝わり、なんと明治には日本にも伝わっていて、志賀直哉や有島武郎などの白樺派がラクロスをやっていたという文献もあったんですよ。これは子孫の方にも取材してかなり調べました。

また、“サステナビリティー” という考え方がありますが、これは国連の国際会議でネイティブアメリカンの首長が発表して一般的に使われるようになったのですが、彼もまたイロコイ族のラクロス選手でして、ラクロス文化を象徴している考え方の一つです。 ネイティブアメリカンの文化とラクロスの文化って一緒なので、そういった部分はすごく大事に思っていますね。4 年に1 度あるワールドカップでは、他のスポーツだと発炎筒をバーンってやったり、国と国でぶつかったり、やじを飛ばされたりなんかもありましたよね。ラクロスはそういうことが絶対起きないんですよ。たまたま、国旗はつけてるだけのもので、みんなワールドピース。ボランティア開催ですしね。その大会の時はネイティブアメリカンのチームも出るんです。

ラクロスの普及活動に関して教えて下さい

ラクロスはまだ学校教育に取り入れられる事が少なく、小中学校でも体育でラクロスは扱っていません。若い子供達へのラクロス普及はとても大切だと考えており、私たちサムライラクロスでは、特に子供達へのラクロス普及に力を入れています。例えば江戸川区と連携し定期的に「すくすくすくーる」というラクロスのスクールをやっています。
また、子供向けのラクロス道具「ラクロックス」を開発したり、ラクロスを始め易い環境づくりにもチャレンジしています。学びとしてラクロスをみた場合、走りながらボールを投げたり、瞬時に止まったり。身体の動作を行いながら仲間に声をかけたり、戦術を考えたり、ということが一秒とか二秒とかの間に起こる。これで、指先が器用になったり、同時に物事を考える能力がついたりする。実は、慶応の幼稚舎でもラクロスが採用されているんです。他のスポーツと比べても教育的エッセンスは高いですね。
もっとラクロスが学校教育として認められるように私たちも頑張りたいと思います。

日本のスポーツにおけるメディアのあり方についてどう思われますか?

サッカーとラクロスを比べると、メディアとスポーツのあり方を分かり説明できるかもしれません。例えば、サッカーの場合、J リーグだとフィールドにいる22 人の選手に対してが数万人、つまり選手よりもファンの数が多く、ファンが選手を支える構図が明確です。メディアは選手をコンテンツ化し、スポンサー企業協賛をとりながら、ビジネスを成り立たせています。プロスポーツが成立するにはメディアは欠かせません。
しかし、ラクロスにはアマチュアスポーツであるため、この関係がありません。例えば、私たちが主催するサムライカップでは、観客席のファンの数と選手の数がサッカーとは逆転し、1000人以上の選手がグランドでゲームを行います。つまりメディア、スポンサー企業という概念があまりないため、選手自身が最大のファンである訳です。それ故にラクロスは選手一人一人の考え方がピュアにラクロスのイメージや発展の方向性に反映されています。

確かに、テレビだとか映画とかで取り上げられれば一時的に盛り上がりはするんですが、私たちはアマチュアスポーツであり続けたいと考えています。だから地道に手の届く範囲を続けていければと思います。そしてラクロスを愛するみんながずっとラクロスに関わってゆけるような環境づくりをしてゆきたいなと考えています。

元気ジャパンの活動内容は??

私はいまソーシャル・プロデューサーという仕事をしています。社会的な課題をビジネスとして解決してゆく専門的な役割です。政府や企業、教育機関、市民団体、メディアといった垣根を超えてプロジェクトを立ち上げて事業化してゆきます。元気ジャパンという一般社団法人を起業しました。いまテーマとしてはクールジャパン戦略を主に推進しています。
主な業務内容は、海外での日本のプロモーションですね。展示会への出展や、海外メディアと連携したプロモーションなどを行っています。海外で日本イベントや映画祭、日本食レセプションをゼロから立ち上げたりしています。
元気ジャパンに関わっている人は、主に表現に携わっている人、生み出す人が多いです。デザイナーとかクリエーター、伝統工芸の職人、パフォーマーなどが多いですね。弊社はフランスのジャパン・エキスポの公式パートナーでもあるので、昨年は日本政府と楽天と組んでVillage Japon(日本村)をパリにつくりました。まだ知られていない日本のいいものをフランスマーケットにプロモーションしてきました。震災後だったので、風評被害や輸出規制も厳しかったのですが、現地の温かい日本ファンからはとても歓迎されイベントは大成功でした。

海外では日本ブームが起きています。ヨーロッパ、アジア、中東、北米、南米、あらゆる地域で日本が話題です。ポップカルチャーから伝統工芸、そしてテクノロジーまで数多くのジャンルで日本のコンテンツ力が再評価されています。こうした中、私は日本をいかにして世界に売り込んでゆくかにチャレンジしています。日本政府も クールジャパン事業を推進し、産業の海外進出を促進し、商圏をグローバル化し、成長するアジアや各国から外貨を獲得してゆこうという動き自体に風が吹いています。 主にプロモーション事業が私たちの得意とするところです。具体的には海外で行われている日本関連のエキスポやトレードショーと業務提携し、現地オーガナイザーと連携したイベント開発やビジネスモデル構築を行っています。フランス最大級の日本イベントであるジャパン・エキスポや、イタリア最古のコミックイベントであるルッカ・コミックス&ゲームスなど、欧州ではA ランクに位置づけされる4つのエキスポと公式パートナーシップ契約を締結し、日本のコンテンツや産業の海外進出のプロモーションの場を創出しています。昨年は経済産業省、楽天、デジタルコンテンツ協会と連携し、パリに Village Japon という日本コンテンツ総合マーケットをプロデュースしました。売上も人気も上々で、とても手応えを感じました。日本を本格的に海外に売り込んでゆく時代が来たと確信しました。いま一般社団法人元気ジャパンという社会的課題の解決を目的としたソーシャル・クリエイティブ・エージェンシーを運営しています。私自身、ソーシャル・プロデューサーとして個として仕事をしつつ、「日本を元気に!元気を日本から!!」という同じ志をもつプロフェッショナルな企業や個人と共に社団を形成し、様々なテーマのビジネスに取り組んでいます。

美容は身体や気持ちのあり方が顕著に影響するものですが、これに関して渡邊さんが日頃意識されること、考えることなどはありますか?

試合前に髪の毛を切ったりしますね。メチャクチャ短くしたり。まあ自分は男なんで自分の身なりに関しては特にこだわりがあったりしませんが、美容という観念自体はすごく大事だと思いますよ。要するに美しさ。美しさは大事で、ラクロスもそうなんですけど、美しいシュートって、構造力学的に理に叶っていたりするんですよ。点が決まった時に「美しいねー」なんて言ったりしますね。後は“美しい” 抜き方なんて表現もしますね。型があるから型破りという言葉があるわけで、型にはまってると美しいんですよ。だから、美しいかどうかって1 つの判断材料だったりするんです。

好きな本・言葉・座右の銘などがあったらお教え下さい。

“ヨーロッパに消えた侍たち” という、もう絶版の本があるんですが、今すごく大事にしている本の1 つです。スペインのコリアデルリロという小さな街があるんですが、そこにジャパンという苗字の人が600 人住んでいるんです。スペイン語で“ジャポン” は“ハポン” なので、ハポン村と言われています。実は、彼らは伊達政宗の伊達藩の侍の末裔なんです。先日そのハポン村に取材に行ったんですね。

ちゃんと刀を差して、着物を着て、殺陣師と一緒にハイビジョンのカメラ持って(笑)。慶長遣欧使節団に伊達政宗が30 人出しているんですが、戻ってきたのは25 人なんです。5 人に関しては400 年間ずっと死んだと思われていたんですが、なんと移住していたことがわかったんです。それがジャポンという苗字を名乗って600 人ほどに子孫が増えていたんです。

ハンパなくアドベンチャーなんですよ。どろどろのでっかい川が流れていて、ピラルクみたいなのがうようよしているような中、どこで手に入れたのか分からないような侍の銅像があって、日本の方向を向いてるんですスペイン人はパエリアなどのお米食文化もあるので、稲作農地があるのですが、そこだけまるで東北かのように畝がぴっちりしていて。ハポン博物館というすごく小さな博物館にも行ったんですが、彼らが集めた日本の情報が壁に貼ってあるんですけど、その中には間違っちゃったようなアジアの原住民の写真なんかがあったりして(笑)本当に面白かった。
支倉常長がローマに入って、1615 年に到着したので2015 年で400 周年なんですね。それを記念してあと三年かけて何か企画できないかと思ってます。後は、新渡戸稲造の「武士道」と「自警論」。これらは海外に行く時も必ず持って行きます。彼は日本と海外を繋いで、国連の理事までやっている。彼は「世界の架け橋たれ」というのが座右の銘だったんですね。これはいつもすごく心にあります。自分の座右の銘は、“nothing is impossible”。いつもスケッチブックを持ち歩いていて、アイディアとか考えを図形化するんですが、このスケッチ帳の1 ページ目に必ずこれを書きます。18 歳の時からずっとなので、これが座右の銘かもしれません。

今後の活動や、目標を教えて下さい。

今、一番考えているところではあるんですけど・・・。やっぱり海外というのが軸ではありますね。後は、“食” という事にフォーカスしています。食のイベ ントって実家が料理屋だったこともあって、自分の腑に落ちる気がします。

この間は、奈良県吉野町とサンマリノ共和国が姉妹都市になったので、それをきっかけにお皿の上でも文化外交をしようということになり、 食の文化外交という企画をやったんです。日本人の調理人が日本の調理法でサンマリノの食材と調味料を使った3 品を作るのと、その全く逆をするという。食に関す るイベントって他の企画とは少し違った面白さがあるしダイレクトにおいしい。クリエイティブでシンプルに楽しくて美味しくて、こういう事をもっとやりたいなっ て自分の中ですごく盛り上がってます。2012 年の4 月28日にナポリでイベントを企画しています。「ナポリタン、ナポリに上陸」という・・・かなりキャッチーなんで すけど(笑)。横浜に、日本ナポリタン学会がありまして、そちらの方々と連携して企画を進めています。先日出張で、ナポリに交渉しに行ったんです。

マルガリータ発祥の地で、ナポリタンの作り方から説明して。話していたら、トマトケチャップ入れると言った時点で「バカか!」という反応になり(笑)、「パスタを茹でたあとに、ケチャップと共にピーマンやウインナーなどお好みで一緒に炒めます。」と言った時点で「帰れ!」みたいな!(笑)だけど、一生懸命説 明したんですよ。
ナポリタンという名前ではあるけど、これは日本の文化で、日本の洋食屋さんに はどこでもあるんですと。で、イタリアに上陸したことないから、上陸したらイタリアの国旗を振って祝って欲しいと。なんとか最終的に納得してもらって今度ツアーとしてやるんですけどね。ナポリタン外交です(笑)。

人生において大切なことのバランスを円グラフで教えて下さい。

自分自身の周りを取り囲む「家族」、「GENKIJAPAN」、「ラクロス」、「何もココにはいれない」そしてそれらを形作るのは“BAGATTAWEY” 的考え方。一番大切にしているのは何よりも家族で、心の中心にあるのは18 歳の時に出会ったバガッタウェイ的考え方。他に何も入れず余裕をもつ部分を作るのがポイントだそう。

一番大切にしているのは何よりも家族。心の中心にあるのは18 歳の時に出会ったバガッタウェイ的考え方。他に何も入れず余裕をもつ部分を作るのがポイントだそう。

Profile
渡邉賢一 Kenichi Watanabe

大学時代よりラクロスを始め、社会人チームADVANCE-HANGLOOSE にて全国制覇1 回、VANENTIA にて全国制覇4 回。ラクロス活性化プロジェクト「サムライラクロス」総合プロデューサー。「元気ジャパン」では、マルタ共和国・サンマリノ共和国での食の文化外交、フランスでのジャパン・エキスポ、モンサンミッシェルプロジェクトなどを行なっている。

元気ジャパン http://genki-japan.com/
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