sealer del sol (シーラーデルソル)

Guapo!WEBマガジン[グアッポ!]

vol.24

スキーは、私の人生そのもの。

アルペンスキーヤー新井 真季子

photographs / Shuji Tonoki
text / Rika Okubo

期待のスキーヤーが平昌五輪に向け、静かな闘志を
胸に抱き、美しく、強く戦います。

スキー場で働いていたお父さんがきっかけでアルペンスキーと出会いました。当たり前のようにお姉ちゃんと一緒に始めて。四つ上のお姉ちゃんに負けたくない一心で、ずっと背中を見て滑っていたのですが、そんな私を見て、お父さんが向いていると思ったみたいで、レースに出ることになって。お姉ちゃんはやめてしまったのですけどね。寒いーとかいって(笑)。だからスキーとはかれこれ2~3歳からの付き合いで、競技自体は小学校に入ってからスタートしました。

安全上、ネットの張ってあるところでしかできないとか、一般の方がいるところではできないとか規制があって…。そうなると大抵、日本人は技術系の回転や大回転の種目が多くなるんですよね。

合宿は、必然的に海外になります。この後もオーストリアに行くのですが、ヨーロッパが多いですね。朝五時半~六時くらいに起きて、軽く準備運動して朝食を食べて、車に乗ってスキー場にいって、着いたら少し身体を動かして、2~3時間ずっとぶっ通しで滑り続ける。お昼過ぎに帰ったら食事をして、昼寝を一時間くらいして。朝も早いし、リラックスする意味でも昼寝を挟むんです。

※1 コースを規定するフラッグの数やコースの標高で回転、大回転、スーパー大回転、滑降と分けられる。順にフラッグが少なく、標高が高くなり、ターン技術よりもスピードが要求される。




起きたら今度は陸上をやります。マシンでバイクを漕ぐなど身体を動かして、コンディショニングを一時間半くらいして、終わったらみんなでサウナに行ったりお風呂に入ったりして、ご飯。夕食後、スキーの板のチューンナップをしたり、次の日の準備をして、コーチとその日の滑りに関してビデオMTGをします。タイムと比較しながら、フォームを見たり。それで9時半くらいにはもうベッドに入って寝ますね。次の日も早いので…。

日本にいる時は、大学でマシントレーニングなどをしています。合宿に入ったらスキーをメインにがっとやりこんでいく感じです。自然相手のスポーツなので、天候や場所によって状況が変わるなど環境作りに苦戦することもありますが、コーチの方々が場所を変えるなど、臨機応変に対応してくれます。とても恵まれた環境で感謝しています。感謝ということでは親のサポートがとても大きいので、本当にありがたいですね。自身でもクラウドファンディングなどで資金集めをしたりしています。

アルペンスキーの魅力は、なんといってもスピードを肌で感じられることです。自然の中でスピードを出して、というのがすごく好きです。山の上でさーっと雲海が広がっていくのを見たり、氷河もすごくきれいなんですよ。シーズンが始まる前、夏の間に標高の高い場所でトレーニングするのですが、自然が美しいというのがもはや当たり前になってしまうくらい贅沢な環境ですね。


2012年に、優勝を期待されていた世界ジュニア選手権で右膝前十字靭帯を断裂したのが大きな転機でした。治るのに時間のかかる怪我をして、そこで競技人生を終えてしまう人はたくさんいるので、最初は落ち込みました。でも、リハビリ中に他競技のアスリートとの出会いがあり、一緒に乗り越えられたように思います。その時に出会った仲間とは今も仲が良いですね。本当に辛かったけど、お互いに情報交換したり、真面目にたくさん悩んで、試行錯誤して前に進めました。

2015年にも怪我に泣きましたが、一度乗り越えた経験があったので、気持ち的には楽でしたね。怪我は大変でしたが正直、逆境という逆境は感じたことがないんです。ライバルも大切な存在です。小学校まではお姉ちゃんがライバルでしたが、その後にずっと競っていたライバルの女の子に四年生の時はじめて負けた時は、ゴールで一時間泣き続けました。

今はとにかく、目標に向かってやるべきことはやるという思いで進んでいます。個人競技だけど、日本チームとして動いていることも大きな心の支えです。チームメイトである彼らが心の支えみたいなところはありますね。白黒はっきりしたすぱっとした性格は、ヨーロッパに行くようになってからですね。中学校まではすごくシャイで、しゃべらなかったんですが、自分の意志を言わないと周りに相手にしてもらえなかったので。今は自分を主張できることや、意見を伝えることは大事だと思っています。

Profile
新井 真季子 MAKIKO ARAI

早くから海外派遣選手に選ばれ、FISチルドレンレースに参戦。中学3年の夏から単身アルペン大国オーストリアに渡り、スキー選手育成校として指折りの専門学校に入学した。卒業間近の世界ジュニア選手権で転倒し、右膝前十字靭帯を断裂。4年間の留学を終え、拠点を日本に移してスキーの名門・法政大学で活動をスタートさせた。FISファーイーストカップで種目別優勝を達成し翌シーズンからのワールドカップ出場権を獲得、念願の初出場を果たした。順調に成績を残していた矢先、左膝前十字靭帯断裂に見舞われたが、平昌五輪を照準に再起した。手足の長さを活かした力強いターンが武器。

オフィシャルブログ http://ameblo.jp/araimakiko-blog/