sealer del sol (シーラーデルソル)

Guapo!WEBマガジン[グアッポ!]

vol.39

デフリンピック3回連続出場、引退をかけた4度目のブラジル大会挑戦に向けて挑む人生のハードルとは。
~EPISODE2 高田裕士~

デフリンピック3回連続出場高田 裕士

photograph / Shuji Tonoki
text / Rika Okubo

互いに対して思うのは、“信念がぶれない強い人である”ということ。
耳が聞こえない&目が見えないプロアスリート夫妻の共走。

高田裕士・千明夫妻は多数のメディアで取り上げられる聴覚障害・視覚障害を持つプロアスリート夫婦だ。
夫の裕士はデフリンピックに3大会連続出場中の400メートルハードル日本記録保持者、妻の千明は、リオ大会に続き、東京パラリンピックも日本代表に選考された走り幅跳び・100メートルの日本記録保持者である。
二人の間には一人息子の諭樹くんがいる。

弊誌では、2014年にお二人へのインタビューをさせていただいたが、この8月に開催予定だった東京パラリンピック日本代表に千明さんが内定したことを機に、改めてお二人にインタビューをさせていただいた。
(※このインタビューは、3月上旬に行われました。千明さんのインタビューはvol.38に掲載しています。)

走ることがいつも隣にあった

幼少期、今から30年ほど前ですが、耳が聞こえないという障害についてどうしても哀れみや偏見の目で見られるような機会が多々ありました。ただ、近所の子供たちとドロケイをしたりサッカーや野球をしたり遊んでいる中で、走ることに関しては一切障害を感じなかった。走ることというのは、自分が輝けるツールの1つであり、強みだったんです。
ずっと野球に取り組んでいたのですが、走りの速さを活かし、1番バッターで塁に出る、盗塁することを求められるポジションにいました。中学では関東で二番目に強いチームにいたので、プロ野球選手になる夢を持っていましたが、高校2年の時に右肩を負傷し、道半ばで諦める決断をしました。
ただ、どうしてもスポーツで輝くということを諦めきれなかったんですね。大学に入って陸上を始めることになるのですが、18歳と普通ではかなり遅いタイミングでした。野球部の時代に、助っ人で出場した駅伝大会で区間賞を取ったことがあったので、長距離で結果を出せるのではないかと考えましたが、大学の監督や先輩には短距離を勧められました。いずれ長距離に転向することも視野に入れていたのですが、あれよあれよと短距離で記録が伸び始め、大学4年生の時に関東インカレに出場することができました。

デフリンピックへの思い

デフリンピックに出場するタイミングが巡ってきたのは、社会人1年目のことでした。2008年に聴覚障害者の世界大会の第一回目が開催されるということで、日本代表に選出されたのですが、フルタイムで仕事をしていたため、仕事後に練習をする毎日を送っていました。翌2009年、晴れて台湾で行われたデフリンピックに出場することができたのですが、満足のいく練習ができなかったことから全く結果を出すことができませんでした。肉離れを起こし、予選落ちという最悪な結果に終わりました。
ただ、そこが自分をみつめる大きなターニングポイントになったことは事実です。デフリンピックで交流を持ったロシアとウクライナの選手が、国から下りるお金で、オリンピック選手と同等の恵まれた環境の下競技に専念しているという話をするんですね。彼らが国から結果を求められている一方で、自分のように会社員としてフルタイムで働き、競技にかかる費用は全て自己負担、そんな待遇で競技を続ける理由は全く理解できないと言われ、とても悔しい思いをしました。この環境を変えてやると心から思い、帰国してすぐ、僕をプロとして採用してくれる企業を探し始めました。そもそもデフリンピックすら知らないため支援できないという答えがほとんどでしたが、500社以上に問い合わせた結果、オファーをいただける企業をみつけることができました。2010年から10年間、ずっとプロとして活動させてもらっており、国際大会ではメダルを2つ獲得する結果を出しています。

妻という大きな存在

自分がここまでやってきたことを振り返る上で、一番のキーマンは妻だと思います。彼女とは、同じアスリートとして大学4年の時に出会い、2008年に結婚しました。彼女が2008年の北京パラリンピック出場を目指している最中に、注目のアスリートとして様々なメディアでとり上げられている様子を間近で見ていたのですが、デフリンピックの普及活動も含めて彼女のように活動できたらと大きな刺激を受けました。アスリートとしての浮き沈みもお互いたくさん経験してきているのですが、どんな時でも今できることをしっかり見つめていこうとポジティブな言葉を発する彼女の強さに日々励みをもらっているし、とても惹かれています。彼女が8年のブランクを経て、リオパラリンピック代表に選ばれた時は本当に嬉しかったですね。全盲の走り幅跳びは、大きなリスクと隣り合わせの競技なので、結果を出して金メダルを取って欲しいと応援する気持ちと、怪我なく無事に帰ってきて欲しいという祈るような気持ちで、いつも見ています。

ハードルを越えて

400mハードルには10台のハードルが置かれているのですが、ハードルという名の障害に何度もぶちあたりながら、越えて越えて最終的にゴールにたどり着くというところが、人生そのものだなと思うんです。
これからの人生も、越えなくてはいけないハードルに幾度となくぶつかると思うのですが、必ず越えて、死ぬまでチャレンジを続けていきたいと思っています。
2021年のブラジルデフリンピックが、年齢的に最後の挑戦になるかなと思っているので今はそこに向けて命を懸けて金メダル獲得を目指しています。息子の諭樹には、寂しい思いをさせながら、でも僕たちの夢を応援してくれているので、引退後は、彼の夢を精一杯応援する親でありたいなと思っています。彼が保育園に通っている時に、夢はお医者さんになることですと絵を描いて帰ってきたことがあって、僕らに対して、見えていた方が良かった、聞こえていた方が良かったと感じさせているのではないかと心配になったことがありました。実際は、彼の声を僕に聞いて欲しい、自分の頑張っている姿を妻に見て欲しいという素直な気持ちからそう言ってくれていたのですが…。僕ら両親の存在が夢や可能性を狭めてしまっているかもしれないなと考えてしまうこともありますね。諭樹のことは、国際大会の応援に必ず連れて行っているのですが、目が見えない、耳が聞こえない、だからこそ自分たちには今の人生があるという強い背中を見せることが、大人になった時の彼に生きるといいなと願っています。

Profile
高田裕士 YUJI TAKADA

聴覚障害者のオリンピック『デフリンピック/Deaflympics』日本代表。東京都荒川区出身のデフリンピック陸上競技選手で、専門は400mハードル。400mハードルの日本記録保持者。聴覚に障害を持って生まれる。感音性難聴で、最重度の聴覚障害者(両耳の聴力レベルが100dB以上)。横浜国立大学卒業。トレンドマイクロ株式会社所属。港区観光大使。