sealer del sol (シーラーデルソル)

Guapo!WEBマガジン[グアッポ!]

vol.43

“スキーを通じ、
自分にしかできないことをやるために。”
前に進む、その半生とは。

合同会社マウンテンディスカバリー
取締役営業部長
スカイテックトレーナー金谷 浩司

photograph /本人提供
text / Rika Okubo
Episode1

金谷浩司は愛知県に生を受ける。父親が北志賀高原の地に小さなペンションを建てたタイミングで長野県山ノ内町へと移住してきた。 金谷が小学一年生の時だった。スキーとの出会いはそこからだ。冬は、学校から帰ってくると当たり前のように仲間とスキーをして遊んだ。 町内の小学校には、それぞれにスキークラブがあり、全校生徒の半数はスキークラブに所属する環境だった。 金谷が特別、他の子供達よりもスキーに入れ込んでいたとは記憶していない。スキーは単純に身近な存在だった。 コンビニもなくお店もない。帰ってきたら雪があるから、スキー場に行く。それが当たり前だった。
小中高とスキー部に所属し、高校卒業後、当時の国土計画(後にプリンスホテル)に入社する。 サラリーマンに馴染めなかった金谷は、縁あってスキーのチューンナップ(スキー板の滑走面、及びエッジに対するメンテナンスのこと)に携わるようになる。 修行の後、新潟県の石打にあるスキースクールで働く傍ら、オリンピック女子選手らが所属するチームを手伝うようになった。

Episode2

オリンピック選手である彼女たちに帯同し、サービスマン(※1)として夏の合宿でノルウェーに行くようになったのが、金谷のスキーの考え方の原点となる。 合宿期間を終えた後、一人現地に残り、スキー先進国であるノルウェーでコーチングを学ぶようになった。 当時ノルウェーのナショナルチームは、7名のトップ選手のうち6名が世界チャンピオンという少数精鋭の強豪国。 そこでアシスタントとしてヨーロッパを回る機会を得ながらナショナルトレーニングセンターで働き、 スキーメーカー世界的大手のロシニョールでレーシングスキーのテスターをするなど、様々な経験を積んだ。 スキーにおいて、人ができないことを突き詰めていきたいという気持ちが芽生えるきっかけだった。
その後、ワックス(※2)を取り扱う株式会社ガリウムに声をかけられ、直営店の立ち上げや新規開拓の営業などを手伝うことになる。 金谷が国内のトップ選手を口説き落として参入していく中、新しいワックス会社として国産シェア6位だったガリウムは、現在国産シェア1位にまで上りつめた。 それと同時に、2002‐2003ワールドカップでスキークロス初代王者となった瀧澤広臣選手のワールドカップに同行するなど、 国内のナショナルチームのサービスマンとしても活動を広げる。ハーフパイプのソチオリンピック銅メダリスト小野塚彩菜選手のサービスマンとしては平昌まで帯同した。

※1 スキー選手の特性を最大に生かしながら、ベストなパフォーマンスができるようスキー板を仕上げる技術者。
※2 スキーなどの滑走面に塗布して、さまざまな雪の条件下におけるその摩擦係数を改善する物質。

Episode3

現在、金谷が一番に注力しているのはスキーにおける次世代ジュニアの育成である。 志賀高原にあるホテルにて、自然の中でできるアクティビティや日本に3台しかないという専用シミュレーターを導入し、 選手やコーチの教育を合宿形式で行いながら、特にジュニアの育成に特に力を注いでいる。金谷の持論として、8歳までに施す英才教育がアスリートには特に功を奏する。 体格云々ではなく、的確な英才教育をその歳までに施すことでスキー後進国である日本でも必ず成果をあげることができる。 この企画は、長野県の新規事業コンペでも準優勝を獲得し、現在地元に根付いた形で365日合宿体制での育成も行っているところだ。
というのも、オリンピック等の世界の舞台に帯同する中で、サービスマンはあくまで助っ人であるという思いがどこかであった。 小さい頃から自分自身で関わり、世界に通用する選手を育てあげたい。事実、確実に成果は感じている。日々、子供たちの成長に驚かされるばかりだ。 今は、自分自身の元にいるジュニア達が近い将来羽ばたき始めるまで、愚直に正しいと思うことをこなしていくだけ。 彼らがギブアップするその日まで連れ添っていこう、そう考えている。

Episode4

思えば、スキーに携わり始めてもうすぐ30年になる。これしかできることはないと思いながら、居心地も良く、いつの間にかこれだけの月日が経っていた。
これまでの人生、自分がやりたい道を進んできた意識は正直全くない。周囲の人たちに導かれて今があると思う。
未来に対して夢を描くことも、あまりない。未来は結局、今やっていることの延長線でしかないのだから。後悔を残さぬよう1日1日自分自身のベストを尽くすことの方が重要だ。
金谷にとって、仕事は“輪”であるという。これからも変わらず楽しみながら、チームである、仲間や選手と人間的に繋がってやり続けていこうと思う。

Profile
金谷 浩司 Koji Kanaya

1969年生まれ。愛知県出身。両親の移住と共に長野県に移り住み、スキーと出会う。
ナショナルチームのサービスマンとしてオリンピック・パラリンピック・ワールドカップ等に帯同しながら、多岐に渡りスキー事業に携わる。 現在は志賀高原の『癒しの宿幸の湯』と合同会社マウンテンディスカバリー共同でSki&Snowboard Training Lab in Nagano-VR Simulatorを設立。 若手の育成に力を入れている。