sealer del sol (シーラーデルソル)

Guapo!WEBマガジン[グアッポ!]

vol.25

セーリングの魅力を体現し続けることが使命

プロセーラー伊藝 徳雄

photographs / Shuji Tonoki
text / Rika Okubo

海上で、戦い続けたからこそ知り得た
僕にとって究極の楽しさがそこにある

情熱を捧ぐヨットとの出会い

始まりは、できないヨットでどこか遠くにエスケープしたい。そんな単純な思いだった。ヨット雑誌を見て、クルー募集に応募し、右も左も分からぬまま二ヶ月かけて島々を巡り沖縄まで行った。初めてのヨット旅だった。

それまでにバスケットボールやトライアスロンもやった、マリンスポーツも一通り経験したが、専門学校時代出会ったヨットは別格だった。複雑な船の仕組みを操り、自然と戯れ、風に乗る。ひどい船酔いもあいまって、それまで満足のいく経験ができたことがなかった。もっともっとヨットに乗りたい。気づいたら当たり前のようにヨットだけを欲していた。

ターニングポイントは、ニュージーランドへの旅だった。初めての海外レースへのチャレンジがチームの諸事情でキャンセルになり、自暴自棄になる伊藝に先輩が薦めてくれた旅だった。四人のクルーのうち二人はニュージーランド人。海に出たら四六時中ヨット生活。願ってもみなかった環境に胸が踊った。一ヵ月半の旅でヨットへの自信も生まれた。辿り着いたニュージーランドでビザが切れるまで滞在することにしたのだが、たまたま出会った親切なセーラーが自宅への居候を提案してくれるという縁にも恵まれた。ニュージーランドの1月は、真夏の一番素晴らしいシーズン。たくさんのヨットレースに乗り、多くの人と出会うことができた


右:©KAZ 右から:©YOUICHI YABE,©KAZI,©KAZU NAKAZIMA,©KAZ
プロになると決めた日

日本に戻り、平日はヨット関連のメーカーでアルバイト、週末はレースに出場という生活を始める。いかにたくさんヨットに乗れるかにこだわった。楽しくて楽しくて、やめたいと思ったことは一度もなかった。

そうしているうちに、伊藝は2000年に世界最高峰のレース、アメリカズカップに挑戦する日本チャレンジのクルーセレクションに合格し、日本代表の切符をつかむ。160年の歴史を持つこの大きな大会は、今思い返しても自身にとって一番心に残るレースだが、結果として伊藝の出場は適わず終わった。何も出来なかったというジレンマと出場したチームメンバーらへの複雑な気持ち・・・。正直、この時のことはあまり思い出せないのだという。自分主体で動き、こなすように過ごすのではなく、貴重な時間をもっともっと噛み締めて過ごしたかった。 そんな悔しさが、セーリングでプロになるという伊藝の道を後押しした。

素晴らしい再会もあった。ニュージーランドへの旅で同乗していたあのニュージーランド人が、ニュージーランド代表としてレースに出場していたのだ。彼とは今でも様々なレースで会う仲である。また、居候を提案してくれたあの恩人のセーラーとも再会することができた。ベースキャンプに招待し、世話になった恩返しをすることができた。

日本に戻った伊藝は、マッチレースで海外転戦の日々を送るようになる。ニューヨーク/ニッカポッカCUP優勝、2010年アジア選手権優勝、全日本マッチレース選手権でも5度の優勝に輝くなど快進撃を続けた。

セーリングを表現する言葉
『シーマンシップ』

ヨットというのは、経験値が重要となるスポーツである。365日、毎日変化するコンディションと風を読み、いかにしてその時の環境に応じた引き出しを出せるか。また、チームワークも然りだ。多い時は16人のチーム構成となる。共通した認識の下、各ポジションが力を発揮し、連帯意識を持って頭数以上のポテンシャルを出せるか。また、船を作るところからレースは始まっている。デザイナーとセーラーのアイディアがつまったハードが、様々な条件下で競って競った先に勝敗が分かれる。そのため、選手生命という意味でも他のスポーツとは少し違う。例えフィジカル値が落ちても、経験値が高ければ高いほど重宝されるため、トップ選手は50代の層が厚く、60代もざらというから驚きだ

セーリング文化を表す言葉に、シーマンシップという言葉がある。海上だからこそどうにもならない状況に追い込まれるため、瞬時に求められる資質がある。挑戦して前に出ることも重要だが、いかにして迅速に立ち返るかを求められることもある。忍耐強く先を読み、工夫し続け、やり抜く力も必要だ。また、海上という特殊な環境ゆえ、いざという時は他チームを救済することもルールで認められている。

シーマンシップを表すエピソードがある。ある国際レースで、強風のため船が破損しやむなく戻ったチームに、予選落ちした他チームが自身の船を貸し渡した。チームは再度出発し、出遅れから巻き返し見事1位で戻ったという。

アクセルは全開で

結果、ノーペナルティでの優勝が認められた。勝敗を競う上で大切な、シーマンシップという志がセーリングには存在するのだ。 伊藝は現在、TP52 Super Series (モノハルタイプフリートレース最高峰リーグ)北米ヨーロッパ全6戦に参戦している。最高のコンディションを求められるチームで、3シーズン目の契約を更新、結果を出し続けている。

日本では日本マッチレース協会の会長を務め、若手育成に尽力する傍ら、その思いは変わらない。自分自身がセーラーとして魅力を発し続けていたい。そのために尖ってい続ける必要がある。

セーブしたり、ブレーキをかけることは簡単だから、いかにしてアクセル全開でいられるか。ぬるくなるのは絶対に嫌だから、自分をそう追い込む環境におく。そして、必ずその経験を日本にもフィードバックしたい。セーリングスキルを更にアップするべく、40歳を過ぎてから今までに経験のない一人乗りのヨットにも乗り始めた。その根底は、ただただヨットが大好きだということ。過密スケジュールの海外遠征を終え、自宅のある葉山に帰ってきた次の日にはヨットに乗っている。嫌いになったことも、止めたいと思ったこともないし、そんな感覚自体ありえないのだ。

2020年
東京オリンピックに向けて

東京オリンピック、セーリングは伊藝の地元神奈川の湘南で開催される。ナショナルチームの監督やコーチには伊藝の同世代の仲間たちもいる。純粋に嬉しくて、心躍る気持ちもあるが、いかにこのタイミングで業界を盛り上げていけるか。街ぐるみの企画も練っている。ヨットっていい、江ノ島や葉山にいけばヨットに乗れる、そう人々の意識を向けたい。当然選手たちにもその役割を担ってもらいたい。いち職業セーラーとして、二度とあるか分からないこの時代を一緒に過ごそう、そう思う。正直なところ競技者としては、後輩らに対してやきもちを感じる面も強くあったりするのだが。

これからも、セーリングがメジャースポーツになるために力を尽くすつもりだ。競技者として尖り続けながら。自分にとってもかつてそんな存在がいたように、後輩たちにとってそんな指針でありたい。セーリングの魅力を自身を使って体現していくことが、伊藝にとって全うすべき使命なのだ。

人生で大切なものを円グラフで表してください。

とても迷いましたが、結果とてもシンプルでした。
特に10代から一緒にいてくれている妻は、いなくなったら困ってしまう存在で とても大事に思っています。

Profile
伊藝 徳雄 Norio Igei

プロセーラー。アメリカズカップ2000年日本代表。2010年アジア選手権大会 マッチレース 金メダル。全日本マッチレース選手権大会 優勝5回。ワンデザインクラス世界選手権大会出場多数。52 SUPER SERIES 2016 2017 2018参戦。トップセーラーとして現役で活躍しながら、日本マッチレース協会会長として若手育成や競技の活性化などを行う。

Igei Yacht Service http://igei.net/