sealer del sol (シーラーデルソル)

Guapo!WEBマガジン[グアッポ!]

vol.27

叶えたい思いを一歩一歩、魂を込めて上っていけば、
その先に山頂が待っている。

株式会社ICI石井スポーツ代表取締役社長荒川 勉

photographs / Kazuya Hiraide Shuji Tonoki
text / Rika Okubo

界最高峰のエベレスト(8,848m)、世界第4位のローツェ(8,516m)の 連続登頂を達成、その先にある思いとは。

©Kazuya Hiraide
Episode1

荒川のICI石井スポーツ入社は、今から32年前に遡る。以来、6つの店舗の店長や主要店立ち上げに携わってきた。福島県の会津美里町に生まれた荒川は、いつも側に山があった。

登山家の故森田勝氏(※1)が所属する会社として、ICI石井スポーツに興味を持ち入社した後も、時間をみつけては山に登った。荒川は昨年代表取締役社長に就任したが、一度は辞退したという。理由は、山に登れなくなるから。それほど荒川にとって山に登ることは重要なことだった。前代表はそれを聞いて、行って来いと荒川の背中を押したという。

社長就任と共に、エベレストへの挑戦が決まった。エベレストは偉大なる登山家、加藤保男氏がネパール、チベット両側から二度の登頂を成功させ、三度目に厳冬期の登頂を達成した後、帰らぬ人となってしまった特別な山だ。

そこまで人を魅了する景色をこの目で見たい、自分の体力がどこまで通用するのか挑戦したい、荒川にとってエベレストは長きに渡る夢だった。

ICI石井スポーツは、素晴らしい登山家が所属する企業だ。今回の荒川の挑戦を共にしたパートナーである平出和也氏は、山岳カメラマンとして三浦雄一郎氏の80歳エベレスト登頂の撮影実績などをもち、未踏ルートにこだわった登攀功績が高く評価され、今年、第21回植村直己冒険賞を受賞している。

もう一人のパートナー奥田仁一氏は、自身でも数々の山の登頂に成功しながら、山岳ガイドとしても「世界の果てまでイッテQ!」登山部コーチなどを努めているスペシャリストだ。特に、自身で三度エベレストを登頂している平出は、荒川になぜ今エベレストなのか、なぜ自分かということを強く問うたという。

時に命の危険がある挑戦で、パートナーとして互いを深く知り、信頼し合うことは欠かせない。家族についてや食べ物の好みに至るまで、日本で一緒に山に登りながら幾度も幾度も会話を重ね、エベレストに出発した。
※1独善的な登山を貫き、消息を絶った伝説の登山家。




©Shuji Tonoki
Episode2

荒川は、今回のエベレスト登頂に際して遺骨を持参していた。三年前に亡くなった大切な友人のものだった。頂上に必ず到達し、散骨したいと考えていた。

また、日本を発つ前、登山家の竹内洋岳氏から、プジャの米(※2)を手渡される。再起不能と医者から告げられるほどの重症から再起し、日本人初8,000m峰14座登頂(※3)を達成した際に彼が持っていた大切なものだった。停滞したり、辛く苦しい時、これらは優しく荒川を鼓舞激励した。

エベレストの登頂を決めるのは最終的に天候といっても過言ではない。荒川たちも、不安定な天候から、標高5,364mのベースキャンプで足止めを余儀なくされた。一日中雪が降っている日もあれば、25度まで気温が上がる日もある。特別やることはないが、いつでも行けるよう体調を万全にしなければならない。

焦りだけが鬱々と募る。冷静さを失ったり、気分に任せて行動すると、必ず苦痛を伴うツケがくると分かっている。それなのに呑み込まれてしまう。山にはそんな、必ず陥ってしまう罠があるという。そんなことを身をもって実感していた。結局、荒川たちのベースキャンプ滞在は21日間にも及ぶ長期戦になった。

その先進んだ8,000mの最終キャンプ地点でも、天候の乱れから先に進むことができず足止めをくらう。酸素を消費してしまうが、当然ケチることはできない。下山かと思われたが運よく導かれ、別の登山隊から酸素を分けてもらえることになり上に進めることになった。

※2 ベースキャンプに祭壇を設けて行われる登山前の安全祈願の儀式で使われる米。
※3 標高8,000mを超える14の山を完全制覇するという日本人初の快挙。

Episode3

“最後のベースキャンプを出発したのは
日の出の時間から逆算し、夜の9時半。
氷の上を集中して踏みしめ進む。
酸素が薄く息が苦しい。
10歩進み、休むを繰り返す。
ロープに掴まりながら、
氷の上をひたすら前へ進んだ。
真っ暗な道のりをヘッドランプの光を頼りに、
一歩一歩。
いつまで、どこまで、進むのだろう。
酸素は足りるのだろうか。
ヘッドランプが照らす先に星が瞬く。
満天の澄んだ星空が広がっていく。
横に目をやると、横にも星が輝いていた。
そうか、もうこんなにも高い所まで来てしまった。
気付くと、薄ぼんやりと明るくなり、
太陽が丸く形成されはじめる。
稜線に出ると、人の姿はない。
地平線を感じる。
あともう少し、そう思うと胸がいっぱいになり、
涙がにじんだ。
音のない景色に山並みが広がる。
真っ白な世界に飲み込まれていく。
その先にはきっと、
待ち望んだ頂上が待っている。”

頂上での夢の様な時間は、あっという間だった。衛星電話で家族と連絡をとり、息子が書いてくれた、志という字を掲げ写真を撮った。下山し、一日空けずローツェへ。無事登頂した後、カトマンズまで降りて冷たいビールと日本酒を飲んだ。

半年間禁酒していた愛酒家の荒川にとって格別の瞬間だった。達成感には、大きな感動や喜びがある。

しかし挫折や苦しみ、我慢、そういった一言では片付けられない何かに裏付けされてチャンスは巡ってくる。そして全てを飲み込み、静かにその瞬間は輝くのだ。そんなことを考えていた。

Episode4

5月に登頂したことが今となってはもうだいぶ前のことのように感じる。そう荒川は言う。日本での生活はそれほど忙しく目まぐるしい。

現在、日々の業務の傍ら、ICI石井スポーツとして登山初心者にトレーニングをつけ、経験を体得させて、最終的に皆でモンブランを目指すというプロジェクトを進めている。石井マウンテンマラソン(IMM)というイギリス発祥の山のオリエンテーリングを開催するプロジェクトも進行中だそうだ。登山の楽しさを知ってもらい、自立した登山者を育てることが目的だ。

アウトドアブランドが人々の日常生活に入り込み、カジュアル化したウェアの需要度が増している。それを敏感に感じながら、山とスキーを追求し、お客様に喜びを与える手伝いをするという本筋は決してぶらさない。お客様とは山でいうパートナーであり、丁寧に丁寧に絆を紡いでいきたい、そう考えている。

どんな立場にあっても山を愛することには変わらない。そうエベレストは教えてくれた。ICI石井スポーツとして、モノを勧めるだけでなくコトを行って成長して行く。だからこそ自分自身がまず、山を愛し、感動し、心で実感することを決して忘れたくないのだ。

Arakawa’s Off shot

1.志の字と共に。2.加藤保男エベレスト春秋厳冬期登頂10周年記念像。3.アイスフォール。ここまで行くのが大変。4.エベレストと ローツェの石。5.登頂記念ディプロマ。

荒川 勉 Tsutomu Arakawa